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Posted by 滋賀咲くブログ at

闘病記録2

2013年12月2日退院

「1日でも早く帰りたい」という父の強い希望に「わかりました。何とかしましょう」とケアマネージャーさんが応えてくださいました。
父は満足気でした。

家での父、数日間は入院前と同じように台所のテーブルに座って母と話したり新聞に目を通していました。
やはりそれも辛く、用を足す以外は横になっていました。

テレビをずっとつけたままだったのですが、なぜか、いつもテレビが見えない向きで横になっていました。
私「テレビが見える向きに横になったら?」
父「仏さんに足向けることになるやろう。」
テレビが見える向きになると、隣の部屋に置いてあるお仏壇に足をむけることになるのです。
そういえば、前からずっとその方向に足を向けたことがなかったことに気がつきました。


私の個人的なわがままで、私の親友3人を呼びつけ、父に会ってもらいました。
父は辛いときだったけど、仕事の話をしてくれました。
親友にはすごく気を使わせてしまったけれど、どうしても会ってもらいたかったし今でも感謝しています。
きっと、わが事のように感じてくれたと思います。


そして、日に日に腹部の痛みが強くなり、麻薬の座薬を使用し始めました。
腹部の状態は、見た目にももうカンカンに張っていましたが、今まで痛みがなかったのが不思議なほどでした。
それでも、尿瓶は拒否し、PTEGの排液袋と高カロリー輸液を引き下げながら冬の寒いトイレへ用を足しに行きました。
呼吸はとても荒く、全身全霊で動いていました。
今でもその姿を思うと涙が出ます。


「これから、どんな最期を迎えるんだろう・・・」
私も、恐らく父もとても不安だったと思います。

できるだけ痛みを感じることなく家で安らかに看取ることができればと思っていたので、医師に麻薬の持続点滴を相談したところ、

「それは管理できないので病院へ入院していただくことになります。」と。

「今の時代にそんなことがあるのか!!!」「自宅で最期を迎えたい人はどうなるのか!?」
衝撃と悔しい思いでいっぱいになりました。


痛みに対する麻薬の座薬も効果はなく、我慢も限界に達し、
「わし、病院戻るわ」と父は決めました。

病院へ行く前、家族で色んなことを話しました。
今までで一番楽しかったことは?
母に言いたいことは?
子供たちに言いたいことは?
逆に、お母さんがお父さんに聞いておきたいことは?
この時間は私達の一生の宝物になりました。

そして、12月17日最後の入院をしました。





  


Posted by はじめまして at 23:33Comments(0)

闘病記録1

2013年12月30日、父は早足で旅立ちました。
ちょうど1年前の今日です。

なかなか向き合うことのできなかった父の闘病記録。
当時の記憶が薄れてしまう前にまとめて、父の闘病も終わりにしようと思います。



2013年4月18~4月30日:急性胆のう炎


同年8月28日~9月9日:敗血症性ショック・膵炎
この時、私は帰省していました。
猛烈な悪寒に襲われ、ガタガタと震えていました。悪寒が落ち着くと体温は40度。
血圧も低下していたので、直ちに救急へ。
フラフラしながらも自分の足で病院へ向かいました。
免疫の低下した父に、感染症ほど恐ろしいものはありませんでしたが、父のがんばりと治療の効果もあって退院となりました。


同年9月21~12月2日:再発(がん性腹膜炎・腸閉塞)
退院したのもほんのつかの間、食事が摂れなくなり母と病院へ。

   「再発」でした。

医師からは、「手術をすればもう一度食べることができるかもしれない」と説明がありました。
「しかし、リスクもあり、食べられたとしてもほんのわずかな時間になる可能性は高い」と。
父は「もう一度食べられるなら手術したい」と言っていましたが、進行があまりにも早く、その機会を失いました。
  
手術の適応ではないと医師から聞いたとき、これは一番辛かった・・・。
死の宣告をうけたのも同じ。
「ほな・・・わし、年内もたへんのとちゃうか・・・。悔しいのぉ・・・。」と。
父も私達家族も皆泣きました。


  10月7日  中心静脈カテーテル(IVH)挿入
  10月31日 中心静脈ポート挿入
  11月5日  経皮経食道胃管挿入(PTEG)
          PTEGは父の入院している病院では初症例だったそうです。 


手術を断念せざるを得なくなった後は、早く大好きな家に連れて帰ってあげたい。
もう一度だけでいい、どこかへ連れて行ってあげたいと強く思いました。
父が大好きな車、目標は大阪モーターショーへ行くこと。


家へ帰るにあたっては、本当にたくさんの方に連携していただきました。
入院病院の医師・看護師、ケアマネージャー、ケアワーカー、地域の病院、医療機器担当の方、薬剤師などなど、入院中の個室がパンパンになるほどの人でした。
その中で通院手段について医師から問われると、
「先生、通院は自分で運転するからかましまへん」と父。
それには先生も「いやいや、相手もあることですから…」と驚かれました。
がんの悪液質の影響か、全身の倦怠感も強く、ベットに座っているのも辛い状態なのにどこまでも気丈な父。


この時医師は、在宅の生活も、もって1週間くらいかと思っておられたそうです。


  


Posted by はじめまして at 22:43Comments(0)

2013年4月18日 急性胆のう炎にて緊急手術

退院後、抗癌剤投与中。
脱毛と倦怠感の副作用はあるが、食欲もあり食事も少しずつ食べられていた。



-母の話より-
38度台の発熱があり、救急を受診。
胆嚢炎を起こしているため、緊急手術の運びに。
「またえらいめをしなあかん…」と、父。

手術は3時間程度で無事終了。
医師は、抗がん剤の副作用で白血球が減少したため胆嚢に炎症を起こしたのだろうと。
摘出した胆嚢は正常よりも拡大していて、周囲は壊死しているかもしれないそう。

  


Posted by はじめまして at 21:16Comments(0)